子どもは31歳、K2に来て6年が過ぎました。
少しでもなにかお役に立てればと思いまして、息子の話をさせていただきます。
ひとりでいることが嫌な子じゃなかったので、親もそのままにしてしまいました。
息子は私共が共働きだったので保育園にずっと行って。それから小学校にあがりました。別に何の指摘もされずに普通の子でしたね。
小学校1年生の頃は元気に学校に行っていたんですけど、3学期ぐらいから行かなくなり休み始めて、その時はなんとか連れて行こうと思って学校に一緒に行ったりしたんですけれども、教室には入れなくて。なんか泣くんですよね。
それで保健室に行ってしばらく過ごして、友達が迎えに来てくれると教室に行けるみたいなことを続けていた時もありました。 2年生、3年生に上がるとほとんど行かなくなりました。
私どもも無理に行かせようと思っていなかったっていうのもあるんですけれども。
でも共働きだったので、もう家にほんと1人でいてゲームしていたり、テレビ見たり、いろんなものを作ったりみたいなことして。ひとりでいることが嫌な子じゃなかったので、親もそのままにしてしまいました。
4年生になった時に「学校行ってみるか」って親が言った時には、「行くよ」って言って4年生は登校しました。ほんとに1日も欠席せずに。勉強や友達との関係では特に不自由することもなく、ほんとに普通に学校生活はできていました。
5年生もほとんど欠席なく。その時はお姉ちゃんが私立の中学に行っていたこともあり、塾にも行かせて普通に通えていました。
6年生の2学期ぐらいからやっぱり不登校になったんですけれども、中学は公立は行きたくないっていうことで、中学受験して私立中学に入ったんですね。

中学1年生の時は3学期からまた不登校になり。そのまま中学校は登校せずじまいに。中3になって「高校進学どうするんだ」と高校を色々探して。話し合いもしたのですが、とにかく内申が0なので受験だけで行ける公立高校に入り「よくやった」と。しかし入学したもののまた1年の後期から不登校になり、その年の終わりに退学。
学校に行かない理由を一言も言わなかった。
学校生活はこんなふうに不登校の繰り返しでしたが、本人は学校に行かない理由を一言も言わなかったです。理由を何回か聞きましたけれども、「言わない」の一点張り。
その後どうしたかというと、大学には行きたいと言って大学進学を目指しました。高卒認定試験はさらっと受かったので、そのまま大学には行けるのかもと期待しましたが、結局受験せず仕舞いに。そのままひきこもり10年って感じですね。
本人は学校に行かない理由は話さなかった。親は何をしていたかというと、小学校低学年では行政でいろんな相談をしましたが、その当時は「無理に学校に行かせないで様子を見ましょう」という時代で、「ああ」と静かに見ていたっていう感じでした。カウンセリングにも行ってみたりもしました。成果は小学校は4年生から行ったので、あったのかなという感じで、よくわかりませんけど。
中学校で不登校になった時には、もう親元から離そうかなと考えて、留学の話を聞きに行ったりと相談をしていました。親元を離れて、ここK2みたいなところで生活して高校に通うようなところがあり、そこも一緒に見に行ったりと色々してみたのですが、本人がその気にならなかったので、家から出すということはできませんでした。
顔がシャッターを下ろしたようになり。
不登校、ひきこもりの最中でも昼夜逆転のような生活にはならず、朝夕の犬の散歩と、親が遅くなった時の夕食の支度など、できることはしてくれていました。それに夕食は必ず家族と一緒に摂るというような生活が10年続きました。
時々話はするんですね、自立しろとか、働けとか。でもそういう話をすると、顔からサーッとシャッターを降ろしたなって感じになり、親の話は聞いてない、耳に入ってないなっていうことがすごくわかるので、もう話もできずっていう状況でした。
私も半分諦めて、このままでもしょうがないかなと。
定年まで、親が生きている間は親が面倒見て、いなくなったら行政の支援でも受けてと思い本当に諦めている状態でした。
そこからどうやって、K2に来れたのかというと、父親の定年の年に、本当ににこのままじゃまずいと思ったのと、子どもの様子が見るからに変な感じになってきたんですね。
独特の雰囲気と言いますか、このままじゃほんとにあの子ダメになっちゃうんじゃないかなって思っていた時に、区役所でK2がやっていた個別相談会があったんです。
とりあえず行ってみるかと思って行ってみたんです。
「子どもを家から出すことができない、どうしたらいいんでしょうか」と相談した時に、両親が考えを一致させて、強い決意を持って話してくださいと、スタッフの方が力強く言ってくださった。
その話を聞いて、両親で「自立をしなさい」、「もう父親は定年だからいつまでも面倒見ていられない」、「弟のお前がこのままじゃ、お姉ちゃんは結婚もできない」という話をした。なんとか南部ユースプラザ(なんぷら)の相談に私と2人で行くところにまでこぎつけたんです。相談したところ、本人はあっさりと週2~3回はなんぷらに通います、ということになって。
自然に笑っている顔って、もうずっと見てなかったな。
親が強制をしたわけじゃないので、これには驚きましたが、本人もこれじゃまずいと思っていたのもあったんだと思います。行けてよかったよかったと思ってたら、12月の相談会で、そのうち、今度は入寮するって本人から言い出したんです。
「えっ!?」こっちはもうびっくり仰天で。
どういう風にスタッフの方がお話をしてくださったのか、ちょっとわからないんですけれども、もう「寮に入る」ということで入寮して。
それから後は、とんとん拍子と言ったらなんですけれども、いろんな仕事を実習で経験した後に、アルバイトを始めて。今は同じ職場でアルバイトから正社員になるというかたちで、今現在も続いている状態です。
アパートで1人暮らしも始めました。ただ、食事はK2にお願いして、面談もしていただいているので、安否確認はできている状態です。
でも、親にはアパートの部屋には「絶対来るな」となっていて、1回も入ったことはないし、なにかあったら困るから鍵を渡してくれと伝えても、絶対にダメ。なんとか鍵だけをK2に預け、なにかあればK2から連絡が来る状態にはなっています。

今、親として思っていることは、運良くK2につながって、本当に感謝しています。
入寮後、共同生活をする中で、自然に笑っている写真。あれを見た時に、こんな風に自然に笑っている顔って、もうずっと見てなかったなと思って。家族みんなで「ほんとによかったね」と。あのまま放っておいたらどんなことになるかと、とても心配していましたので。
今はもうひとり暮らししているのと、本人の思いがあるのか親元には全く帰って来ず、連絡もくれずっていう感じで。私はその年頃の男の子のひとり暮らしだから、そんな親元にもいちいち連絡もしないよねと、納得もすることにしています。
それでもこの前、地震があった時にですね、「そっちはどうだった」とLINEをしたら、ササッとLINEが返ってきたので、緊急時には連絡くれるんだなと、ちょっとそこはホッとしています。
あの時を逃さなければ、もうちょっと早く事態が動いたかな。
この話をすることを考えていて思ったんですけど、10年ひきこもらせたって言いますか。あっという間に10年経っちゃったって感じがします。
もっといろいろ打つ手はあったのかもしれません。小さい頃の不登校の時には、いろいろやろうと考え、さまざまな支援機関や相談先に足を運んだりしましたけれども、20歳過ぎた大学生の間の、22~3歳ぐらいになるまではいいかなって思っていたんですけど、もう、それがよくなかったんですね。
本人を力づくで引きずり出すわけにはいかないし、病院には行かないし。打つ手がなくなにもできなくなっているっていうか、うーんって悩んでばかりいた期間が無駄だったかなと。
その頃にもいろいろインターネットで検索はしたんですけれども、K2がなぜか引っかからなかった。それが残念でした。
1回だけ、藤沢の方の就労支援に「ひきこもってて困っている」というメールをしたことがあるんですね。その時には、本人が来ないとどうにもなりませんっていう返事が返ってきて。それで本人に行けって言ったんですけど、本人が自分1人で行くはずもなく。あの時を逃さなければ、もうちょっと早く事態が動いたかなと思いましたけれども、いろんなタイミングがあろうかと思いますので、そのタイミングをうまく逃さなければいいかなって思っています。
そんなことで、うちはとりあえず今のところは、なんとかなっているかなっていう状況です。