幼少期―保育園への行き渋り

本来は妻がこの場で話をする予定だったのですが、体調を崩してしまったため急遽、自分が妻の文章を代読する形となりました。

まず本人の幼少期ですけれども、今も身体が大きいのですが、少し大きめで生まれました。一学年上に見える体格に反して、一学年下かそれより下ぐらいに思える行動がありました。
妻は育休を取らず職場復帰。これは夫である私の力不足で、妻に苦労をかけてしまったという部分であります。

2~3歳から保育園への行き渋りが始まりました。朝、本人と次男の準備を終えて、さあ出発と思うと本人がいない。玄関にズボン、ドアを開けるとオムツ、そして走っていく息子が。捕まえて車に乗せて車内でご飯。園に着いたと思ったら靴も脱いでしまって裸足。帰り道の交差点で靴を見つけるというようなこともありました。
休日は庭で大声を出していると思ったら、呼びかけに反応しない蟻に怒っていて。絵本がどこまで飛ぶのか、2階から実験を繰り返したりしていましたた。

不登校と敷地内登校

小学2年の2学期から行き渋りが始まり、3年生で教室に入れず支援教室のお世話に。目標は敷地内登校。妻が職場にフレックス出勤の申請をして、8時半から9時半まで一緒に登校。「行く、行かない」のやり取りを続け説得。

4年生は教室に入ればOK。特別教室の本人の隣の席に、等身大のぬいぐるみを置いて頂き、一緒に座っていました。

5年生では友人もでき、特別扱いをされながら他のクラスメイトと変わりない学校生活を送ることができました。なんとか修学旅行にも参加できました。
中学では入学式から行けず。しかし小中学校間での情報を共有、学校の敷地内に入ることを目標に支援を受けられました。

先生方の都合の良い時間に合わせ、相談室や保健室に登校、放課後の教室に入れて頂いたり、2年、3年は体育の先生が担任だったこともあり、体育館を開放してくださって先生とバスケをしたり。好きな体を動かす活動をして頂くなどの配慮を受け、週1回の登校を目標にしていました。

月1回の市役所の教育相談を受けていたのですが、そこで知能検査を勧められました。結果は本人に伝わりやすい言葉で、学習障害と伝えて頂きました。

高校時代、入学式は参加したのですが、5人以上の場に行きたくないという本人の言葉により、学校側も最大限の融通を利かせてくださり、本人のために別教室を用意してくれていたのですが通えず。そんな状況に陥ってしまいました。

登校してほしい思いがある妻は週2の登校日には有休を使って送迎をしていました。そんなの本人言いなりの環境の中で、学校での課題は進まず。家で親子で課題提出に限界を感じながら夏休み前に不登校になりました。夏休み明けにも課題は進まず、秋には退学。

中学からほぼ4年間、そのような状況でした。

K2との出会い

そんな中、K2と出会うタイミングがやって来ました。

所属していた学校も退学になり、所属がなくなった本人がどこかにつながってほしく、藤沢市の不登校・ひきこもり支援の委託相談窓口を訪ねました。そこでK2のスタッフと出会いました。しかしそこでも理由をつけては本人は通えず。何度もすっぽかしをしたと思います。

今年20歳になった長男ですが、5年前の2020年1月は、コロナ初感染が騒がれる年でした。妻が医療系の仕事で働いていることもあり、コロナ騒動でどんどん忙しくなり、夜10時帰宅は当たり前、遅いと日付が変わってから帰る生活になっていきました。余波を受けたのは在宅警備の長男。ずっと家にいるものですから、巷では在宅警備という言い回しをするようです。息子の夕食の準備、洗濯物をしまうだけの気ままな警備生活が脅かされることになりました。

そんな時K2から相談会のチラシを送って頂きました。「パン屋の親父のコッペパンのお店があるから一緒に買いに行こう」と息子を誘い出しました。ドタキャンを何回か経て、なんとか金森代表とお会いすることができました。金森さんとの話の中で、息子にはたくさん質問を頂き、本人なりに答えていました。
数日後、息子から「あの時しっかり返事ができなかったので、金森さんにもう一度会いたい」という申し出がありました。そして2回目に代表にお会いした帰り道に、共同生活寮に入りたいと本人から申し出がありました。しかし入寮の当日、やっぱりドタキャンに。
しかしながら本人には引っかかるものがあり、数週間後にやっぱり入寮しますとなりました。

入寮してから皆さんもご経験されてると思いますが、泣き脅し作戦が始まります。LINEで「こんなはずではなかった、なんで産んだんだ」、ひどいのは「殺してくれ」というようなこともありました。30分、1時間の長い電話もありました。

そんな中でも、K2のスタッフからは子どもが脅してくることがあると聞いていましたので、「これか」と実感。当初は私たちも電話での訴えをまじめに聞いてしまっていましたが、こうした場合の対処法についてK2のスタッフからアドバイスをもらい、まず電話に出ないことを学びました。

慣れてくると、私たちもこちらからの相づちを息子が聞いていないことも分かってきたので、言い終わるまで待つ。話を聞き込まず受話器を耳から離す。少しずつそらす、はずす、かわす。そうしたことを親として学んでいきました。

海外生活と帰国

そんな中で、海外へ行く流れになりました。代表の金森さんから海外に1ヶ月行ってみないか、と提案をいただきました。そして期間は当初1か月と言っていたものの、皆さんと同じく延び、結局海外に2年いました。

高校は、通信高校の教科書を向こうに送り、タブレットで学習。海外のスタッフや仲間に課題を手伝って頂いて、今年の春に無事卒業することができました。

そんな中、息子を帰国させることになりました。予想はしていたのですが、本人から帰国を機に自宅に帰りたいという希望があり、これには親としては困りました。
久しぶりに本人と電話をして、海外生活を振り返ると「自分の苦手が分かった、苦手に対するアドバイスをくれる人がいた」という話になったので、自分を知り、仲間をができたなら、その仲間と今後もつながるためにも、帰ってきたら寮に入ろうと、繰り返し息子を説得しました。本人も自分が思うように世の中が動かないことを学習したのか、2回目の電話の後にメールで寮に戻ると返事がありました。

その後間もなくお盆に帰省してきましたが、今までの経緯もあり、親としてはもう籠城されないか心配で。何度もK2のスタッフに相談をしましたが、なんとかなりました。
家では寮生活で教わった料理を振る舞ってくれたり、弟とゲームをしたり、姉と映画館に行ったりして過ごし、すんなりまた帰るねという形で寮に帰りました。これには意外でした。

その後9月中旬からK2のつなぎでご紹介いただいた仕事に週3回、年明けから週5回行っています。本人の目標はお金を貯めて1人暮らしをするということだそうです。
まだまだ目が離せない息子。私自身、子離れができていないことも自覚したところでした。

今回、様々な方が参加している中、つながる、続けるに貢献できればと思いお話しさせていただきました。
本人からは、K2と繋がって良かった、たくさんの人と知り合えた。特に海外は日本と時間の流れが違う。自分が気にしていたこと、自分が思い込んでいたことがあったが、世界が広がったということにも感謝がありました。
たくさんのスタッフに様々な形で私たち両親も含めて支えていただいており、本当に大変感謝しております。これからもよろしくお願い申し上げます。

父として

妻の文章はこれで終わりですが、私も息子から「海外に行って良かった」と聞き、嬉しかったです。息子は英語を一切話さないで帰ってきたと思います。だから根拠のない自信かもしれません。でも海外に行った経験だけでも充分自信になったと聞き、本当に行かせて良かったなと実感しました。
今日も場面転換というお話があったと思いますが、うまく活用してここまでとりあえず来れたのかなと思っております。多分また浮き沈みがあると思いますが、その度にK2の皆さんと相談させて頂きながら、やっていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

(了)