息子のお話をします。

今からちょうど30年前の7月に、私たち夫婦にとって初めての子どもとして生まれました。幼稚園、小学校ともに何事もなく卒なくこなすとともに、周りの子どもたちと楽しく過ごしていました。

小学校3年生の時に地元の軟式野球チームに入り、週末も練習やら試合とやらでとにかく家の外で体を動かしていました。野球は中学校に上がってからも部活として続けて、キャッチャーをやったり、4番を任されたりしながら、気の合った仲間と楽しく3年間を過ごしていました。

高校については、希望する学校に進学でき、ここでも軟式野球を続け、スポーツに勉強に青春を謳歌すると思っていました。

しかし、1年生の夏頃から部活内での人間関係がうまくいかなかったり、勉強で伸び悩んだりとうまくいかないことが増えてきて、だんだん元気がなくなってきました。学校には通えていましたが、クラスの中では浮いていたようで、卒業式の日に教室で1人ずつ卒業証書を受け取る際、他の子は拍手が起きるのですが、息子の時だけ誰1人拍手をせずしーんとしていたということを、参加していた妻から聞きました。

その時、妻はどういうことかと状況が理解できず困惑するとともに、息子はこんな環境にもかかわらず学校を休むことなく毎日通っていたんだということを知り、愕然としたとのことでした。

そのあと、家から通える範囲の大学に進学し、毎日通学するものの、1学期の途中から周りの目が気になって学食に入れない、友達が作れないといった告白があり、ますます元気がなくなっていきました。

本人を連れてこないとどうにもならない

6月の下旬には学校へ行けなくなり、昼夜逆転の引きこもり生活が始まりました。この時私は少し休めば元気になる、少し早めの夏休みに入ったぐらいの気持ちでいましたが、日々生活を共にしている妻は強い危機感を持っており、まずはスクールカウンセラーに相談に行きました。しかし、何ら解決につながらず、一体どうすればいいんだと焦り、病院や引きこもり支援施設など100件近く電話したものの、本人を連れてこないとどうにもならないと断られ続けました。

なんとか状況を変えたかった私たちは、夏休みの間、私の両親が生活している福岡に行くことを提案したところ、なぜか乗ってくれました。とにかく元気を取り戻してくれという思いで息子を送り出しました。

九州では畑仕事やお墓の掃除、家の手伝いなどお願いしていたようですが、ゴロゴロと寝て過ごす日々は変わりませんでした。そんな中、唯一息子が元気な様子を見せたのは、博多市内で行われたアイドルのオーディションでした。一次審査を通過できず撃沈でしたが、子どもの頃からアイドルグループの嵐が好きで、歌や振り付けを完コピしたり、中学生の時にはAKB48のコンサートに行って握手会で感動したりと、息子の中でアイドルという存在は特別なものだったんだなと思います。九州で一瞬元気になりましたが、そのあと元のゴロゴロした生活に戻っていき、夏休みが終わる頃、横浜の自宅に戻ってきました。

そこからは休学と復学を2年ほど繰り返しました。復学の手続きには担当教授と本人との面談が必要で、そこは本人1人で行っていました。ほとんど家から出ない息子が面談に行くのは相当な覚悟があるんだろうと期待するのですが、学校に行くのはその時だけで、授業が始まると1度も行けず元に戻るという状態を繰り返し、3年目に入ったところで退学することになりました。

息子の問題は、息子自身がなんとかするもの…

大学を退学したことで、これからどうするという話を本人としていくのですが、自立してほしいという思いが強い私たちとの間で議論が噛み合わず、息子が繰り出す屁理屈にまともに応じてしまい、かわすことができないまま言い争いになる日々が続きました。

ひきこもりの状態から抜け出す兆しがないまま4年目に入っていくのですが、この頃は4つ下の娘も心身の調子を崩していました。兄が壊れていく様子を見ながらの生活はかなりストレスになっていたようです。高校へは何とか通えていたこともあり、親の注意が息子に偏りすぎていたのも原因だったと思います。

そんな中で、娘が心療内科を受診すると言い始めました。今振り返ってみると、ここからいろんなことが動き始めたと思っています。親がどんなに勧めても行かなかった心療内科に息子が受診したり、その病院の紹介で夫婦で一緒にカウンセリングを受けたりと、今までにない動きが出てきました。特に夫婦カウンセリングでは、私がいかに息子の問題に向き合っていなかったか、妻に任せきりにしていたかを思い知らされました。

お恥ずかしい話ではありますが、息子に起きていることは息子の中にも原因があり、息子自身がなんとかするものだと考えていました。しかし、第三者を間に入れて夫婦で会話する中で、夫婦間の問題だったり、私自身に問題があるということに気づかされました。これまでと違う流れはできつつありましたが、息子の方は通院が続かず、状況は悪くなる一方でした。

ある日、家の中をきれいにすると言い出し、自分の部屋にあったものをほとんど処分し、ガランとした部屋で寝ていたかと思うと、自分の部屋の次は家の中だといい、普段使っていないエレクトーンの解体を始めたり、なぜか食器棚まで分解しようとしたりと異常な行動をとるようになっていました。この頃は息子本人も息苦しさなど突然襲ってくる体の不調に苦しんでいたようで、家の中にいるのが辛い時はネットカフェに泊まったりしていました。1度ネットカフェの店内で過呼吸で倒れ、救急車で病院に運ばれたこともありました。この時は休みの日で私は家にいたのですが、突然救急隊員から私の携帯に電話がかかってきて、慌てて病院に駆けつけました。

ストレッチャーの上で横になっている息子の手を握った時に、本人も自分の身に起こったことにショックを受けていたようで、ポロポロ涙を流していました。このことがあってから、息子本人も家の外に1人で出ることに不安を覚えたようで、ある冬の日の夜、息子本人から家の中にいると息苦しいので、どこか外で一緒に泊まってもらえないかと相談があり、隣駅のビジネスホテルに私と息子の2人で同じ部屋に泊まりました。ホテルの部屋で息子と話している中で、自分の体をコントロールできない状況に苦しんでいた息子から、病院につながることを受け入れる発言があり、急遽家から歩いて通えるところにある精神病院へ連れて行きました。

すると、息子の様子を見た医師から、その場で医療保護入院という、本人が同意しなくても親が同意することで強制的に入院させることができるという方法を提案されました。当然、急な話に息子は抵抗しましたし、私たちも無理やり入院させることで親子関係が崩れてしまうのではという思いもありました。しかし、家の中にいることもできない、家の外で1人でいることもできないという状態で面倒を見続けることに限界を感じていたこと、数年間にわたってなんとか医療につなげたいと思い続けていたこともあり、思い切って入院させることにしました。

昼夜逆転の生活が少しずつ昼間の生活に…

本人の意思で自由に外出することができない環境に息子は苛立つこともあったようですが、徐々に自分が置かれている状況を受け入れ、治療の効果もあって2ヶ月ほどで退院できました。退院後は病院が運営するデイサービスに通いましたが、興味を持ち続けることができなかったようで、2ヶ月ほどでやめてしまい、薬を服用する習慣もおろそかになっていき、再び家から出ない生活に戻っていきました。

この頃はまったく家から出られないという感じではなく、興味があるものがあれば外に出かけることができる状態だったので、息子が応援していたプロ野球のヤクルトの試合を神宮球場で一緒に見に行ったり、ちょうどその頃日本国内で盛り上がっていたワールドカップラグビーの観戦に静岡まで泊まりで出かけたりしていました。こんな状況だったので、何かきっかけさえあれば外に繋がれるはずということで、妻が集めてきた公的機関での支援団体のチラシやパンフレットを、息子の目につくようにリビングのテレビの前に並べておいていました。

私は当初、これ見よがしの作戦は逆に息子の反感を買って、開きかけた心がまた閉じるのではと心配していました。しかし、妻から南部ユースプラザに興味を持っているみたいということで、親だけで話を聞きに行き、そのあと息子も連れて見学に行くことができました。なんぷらは2ヶ月で辞めてしまったデイサービスとは異なり、同世代の若者が集まっていることに興味を惹かれたようで、継続して通うようになりました。なお、これは後から知ったのですが、息子がなんぷらに初めて見学に行った2020年1月16日は、日本国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認された次の日でもありました。

コロナの脅威がひたひたと迫る中、今日は掃除のボランティアをしてきたとか、スタッフやメンバーさんとこんな話をしてきたといった話が息子から聞けるようになったり、昼夜逆転の生活が少しずつ昼間の生活に戻っていくことに喜びを感じていました。

なんぷらがコロナで一時閉鎖された時は、私たちもヤキモキしましたが、なんぷらのスタッフの方々が息子に対し愛情のある接し方をしていただいたおかげで、再開後も継続して通うことができました。そんな中、2022年の秋頃、息子からK2のミュージカルに参加したいという話がありました。今にして思えば、アイドルやエンタメに興味を持っていた息子には自然な欲求だと思いますが、当時は生活リズムを取り戻そうとゆっくり進んでいる状態だったことから、昼間はなんぷら、夕方はミュージカルの練習とかやって大丈夫かという思いがありました。しかし、好きという気持ちがいろいろなものを上回っていたようで、他のメンバーさんと仲良くなったり、練習に夢中になっていく様子に、妻ともども明るい気分になりました。

本来の自分を取り戻していく

ミュージカル「美女と野獣」の本番は、12月の冬空のもと、南部市場にある屋外の会場で行われましたが、大きな声で元気に歌う姿に寒さを忘れて見入ってしまいました。2014年6月にひきこもり始めてから、6年と半年かけてようやくたどり着いた夢のような光景でした。

そこからは、金森代表をはじめとするK2スタッフの皆さんの尽力により、正月休み明けからK2の寮に入り、ファームやうんめぇもん市、フェロップでお世話になり、2年前からシドニー、昨年からニュージーランドでお世話になっています。

離れて暮らすようになって4年半が経ちますが、毎月の家族会で少しずつ元気になっていく様子、本来の自分の姿を取り戻していく様子を知ることができ、K2の皆様には大変感謝しております。また、家族会という場で、これまで職場等ではできなかった話をすることができたり、苦労したところに共感してもらえることで、私たち自身もかなり救われております。

これから山あり谷ありと色々あるかと思いますが、どこにも繋がることができず、夫婦2人で途方に暮れていた頃と比べれば雲泥の差です。この繋がりを大切に、息子も私たち夫婦も進んでいければと願っております。以上です。ありがとうございました。

ミュージカルと英語。こんなわかりやすいことなんだけど、これを中途半端にやっていたらダメなんです。ミュージカルスターになれるかどうかじゃない。でもその子はそこに入った。そこを本気でやることで、病気だとかなんだかんだ言われようが、きちっと突破していけますよ。何がその子を本当にヒットさせるか、そこを抑えておかないといけないんです。

だいちゃんは屋台の親方です。それをただの変な親方にするんじゃなくて、ビジネスとして成立するような、ちゃんとしたシステムに乗ったストールビジネスの代表にさせてやればいい。みんなどれかそういうものがあるんです。だからそこを本気で押さないとダメだし、本気でそう思わないとダメなんです。

それくらい辛い思いをしてきた。そこで1つの輪をつかんで、そこからきっかけにして上がっていこうとしているだけのことなんです。その子がそこを本当に握っているとわかったら、曖昧に見てはダメです。そこにちゃんと力を入れないといけない。

この子はここに食いついたな、この子の辛さはここだったんだな、と。それが屋台であろうがミュージカルであろうが、基本は一緒です。仲間がいて、心許せる仲間がいて、本当に得意なことや感謝されることを持って、大切にされている。最終的には、自分のことを邪険にしない、大切にされているという役割がある。

役割・相談・大切。

このことがきちっとキャッチできたら、正直いろんな問題は消えると思っています。どこかで本当に大切にされているということに疑いがあって、どこかで自分の役割がいつまでも見出せない。恋愛話を真剣に聞いてくれる、将来のことを笑わないで聞いてくれる、そういう人がいる子にしてあげないといけない。

この3つが自分の子に欠けていないかどうか、そのことだけはしっかり、いつも意識していただけたらと思います。