娘は小学校5年生ぐらいから学校に行けず、いわゆるひきこもりの状態となりました。
学校には不登校のことで相談はしていましたが、様子を見て登校を促すぐらいで、学校側も根本的にはどうすればいいのかをわかっていませんでした。
娘は気が強くてわがままだったので、次第に私たち親をコントロールするようになりました。私たち両親は娘にどう接すればよいのか分からず、食事も部屋の前に置くようになり。気づけば娘とのコミュニケーションはほとんど途絶えていました。

そんな状況が続く中、私たちは若者自立支援施設である「K2」の存在を知り、相談するようになりました。
そして18歳の時、家族としての最後の希望を託し、娘をK2に送り出すことを決心しました。
家から施設に行くまでの道のりは本当に大変でした。長い間家にひきこもっていた娘には外に出ること自体が大きな挑戦でした。反発にも遭い、私たちも何度も心が折れそうになりました。しかしながらK2のスタッフの方々の、温かくも、覚悟を迫る強いサポートに助けられ、なんとか娘をK2につなぐことができました。

K2の横浜・根岸K2からでの始めた始まった共同生活は、娘にとって初めての経験でした。とりわけニュージーランドのK2ハウスでの生活が彼女に大きな影響を与えたと思います。
ニュージーランドでは就労訓練の一環で、スタッフとしてたこ焼きの屋台で実際に働かせて頂き、社会との繋がりを感じることができました。娘が自分の役割や責任を実感することができる、良い機会となったようです。
また共同生活では、他のメンバーとの関わりを通じて自分自身を見つめ直し、少しずつ変わっていきました。同年代やスタッフとのコミュニケーションの中で、他者の意見を尊重し、協力し合うことの大切さも学ぶことができました。
大きな決断ではありましたが、ニュージーランドという異国の地で新しい環境に身を置くことが、劇的な場面転換となり、その結果娘は大きく成長することができました。

帰国後もしばらく横浜で寮生活を送り、スタッフのサポートを受けながら就職先を見つけ23歳で働き始めました。今もなんとか仕事は続いていますが、生きづらい彼女のことです。この先も彼女を見守り続けたいと思います。
娘が再び社会と繋がり、一歩踏み出せたことは、私たち家族にとって何よりも大きな希望となりました。
また、私たちは家族も子どもを信じてサポートすることの大切さを学び成長しました。
K2の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。