「もう全部私がやろう」過干渉の始まり
母親でございます。よろしくお願いいたします。
息子のことですけれども、まず言葉が遅かった。
2歳ぐらいの時に、当時住んでいた市の保健センターで診察しましたところ、
「この子は学校の成績は中の下、決して将来リーダー的な存在にはならない」と決めつけられて。
たった2歳の子に不吉な予言をするなんて、もうほんと失礼なやつだと、ちょっと怒りに震えた私はですね、生まれた病院での発達外来で一応検査してもらいまして。
そこでは特に所見もないからおおらかに育ててくださいと言われました。 それでもちょっと腹の虫が収まらなかったので、最初にかかった先生に、「不吉な言葉を言って母親の気持ちを不安に陥らせるのは、専門家としていかがなものか」っていうことを伝えたら泣いちゃいまして。それで専門家なんてこんなもんだなと思って、がっかりしました。

小学校から引っ越して、実家のある神奈川の方に来たんです。
幼稚園は呑気に、特に大らかに育ててくださいという方針でした。勉強って皆さん、本当は小学校で言葉、あいうえおとか足し算とか引き算を習うことになっていますけれども、幼稚園で他の子は実はバリバリやっていた。そういうことに全然気づかず、そのまま小学校に入りましたら、皆さんそのあたりをすでに幼稚園でクリアされていたので、入学してすぐ小学校の担任の先生に、「Yくんは足し算も引き算も平仮名も書けなくて、手がかかる」と言われ。
「手がかかるとは何事だ、小学校の先生は物を教えるのが仕事じゃないのか」と思いまして。
「自分の職務もできないような人間に息子を任せられるか、もう全部私がやろう」と思ったのが過干渉の始まりでした。

人間不信にどんどん陥って、一人きりに
息子はと言えば、パン、とぶたれてもやり返さない子で、なぜやり返さないかと言えば、やり返したらその子が痛い思いをする、だからやらないんだと。
それは素晴らしいように思うけれど、ある意味違う側面での逃げなんだろうなと思っていました。
大学に入ってからは、なんとなく陽気なところが出てきて、気楽に過ごしていたんですけれども、やっぱりお腹の中では人間関係が難しく感じていたようでした。お友達が表面上は仲良くしているのに、その違う友達には悪口を言っているのを見て、人間不信にどんどん陥ってしまい。そういうことに関わりたくないと思ったのか、どうも一人きりになることが多くなってきまして。 なぜか団体競技のバスケット部には所属しながら、あいつは友達がいないだなんて言われながら、ずっと1人でいました。

それでもう、私の過干渉はずっと続いていました。とにかくひたすら勉強に関しては私が関わり、高校も全部そんな感じでやってきました。過干渉の末、大学の指定校推薦入学にこぎつけることができて、やれやれと思っていましたら、そこから息子の反撃が始まりました。
気がついたら大学に行っていない。それについて問い正したり、注意すると暴れる。家の壁の穴がどんどん増えていく。そんな生活が始まりまして。
このままでいくと、どんどん関係性が悪くなっていって、えらいことになっちゃうかもしんないなと思って。
冷却期間を取ってまた大学に戻っても、もし行かないんだったらやめなさい。 その代わり、そこでプラプラするわけいかないから、とりあえず直に仕事に繋がるんだったら専門学校に行けと。ということで専門学校に行かして、それでなおかつ家から来るんじゃなくて、ちょっと寮生活をさせて離れようと思ったんですね。
ネット配信にのめりこむ暗黒時代
しかし、それがまた良くないことに繋がりまして。
パソコンを持たしていたら、今度はそこでいろんなところにアクセスして、怪しい政治団体とかそんなところに関りを持つようになって、街頭演説を聞きに行ったり、街頭演説に参加して、なんだか演説したりとか。
そういうことをやってるうちに、スマホを手に入れ持つことになり、そこからお金が入ってくる配信サイトにアクセスするようになって。そこからはもう、すごい暗黒の時代に入って。
専門学校も当然行かないで、一旦家に戻ってきてアルバイトもしてるんですけど、アルバイトも長続きはしない。
で、何かしてるかって言えば、ネット配信。最初ネット配信ってよくわかんなかった。でも、部屋で怒鳴ってる。何やってんだろうなと思ったら、そのネット配信の相手のリスナーのコメントに対して、怒りをぶつけてたわけですね。 こんなことがずっと続いていて、どんどんどんどんエスカレートしていきまして、どんどんのめり込んでいくわけです。

のめり込んでいくっていうのはどういうことなのかっていうと、まずアルバイトもしないで、要するに額に汗して働かなくてもお金が入ってくる世界で。そのためには、やっぱりお金を投げてくれるっていうか、もう、アイテムっていうのかよくわかんないですけど、課金してくれるリスナーがたくさんいればいるほど、その機会が増える。
で、その機会を増やすためには、やっぱり突飛なことをし出すわけですね。最終的に一番リスナーが増えるというか、それはやじ馬なんですけれども、警察が出てくるっていうことが一番大騒ぎになると。まず警察がやってくる。そうすると、どんどん、どんどんリスナーが増える。それが自分が認められているんじゃないかっていう錯覚に陥っていくわけで、それがどんどん、どんどん喧嘩配信になって。
その時の呼び名が〇〇ということで、喧嘩配信の〇〇みたいな感じで言われてて。 大阪に来いって言えば、大阪に行く。どこそこに来いって言われれば、それだけで自分で行っちゃう。課金されたお金で全部賄えるようになっちゃって。
結局のところは、いろんなとこへ行って、筋の良くない人たちに目をつけられることが多くなり。怪我させられたりお金を取られたりして、私としてはもうなす術がなく。
「やっぱり俺はK2に行く」っていきなり連絡が
帰ってきた時に色々話をしても、結局また家の壁の穴が増えることになって。何件か病院にも行って相談もしたんですけれども、結局、性格でしょうとかなんとかって言われ。
どうしようかと思ってたところで、地元の大船行政センターで湘南・横浜若者サポートステーションの個別相談の案内を見つけました。
生きづらさを抱える若者たち。生きづらさって、よくわかんなかったんですけど、とりあえず藁をも掴む思いでここに参加して、それで、恥ずかしい話も全部聞いて頂いてわかっていただけたというか。
その後息子も連れて行き、石巻のジョブキャンプから始めることになったのですが、息子はいつも通りにドタキャン。その後サポステにとりあえず行きましょうってことになっていたんですけど、2ヶ月ぐらいで行かなくなり。
私ももう不義理ばっかりしてきたので、申し訳なくて。この家族会の存在も知らなかったものですから、申し訳ないばっかりだけれど、なんとか相談はしたいなと思って。
ところが突然、なんだかよくわかんないですけど「富士山に登る」って箱根峠を自分で歩いて、富士宮の方まで行って。そこで「やっぱり俺はK2に行く」っていきなり連絡が入ってきた。なぜだかはわからないですけども「よし!」と、サポステの皆さんに相談して、石巻のジョブキャンプに参加させてもらい、入寮させて頂くことになりました。

安心して、間違いなく、やらかせる気風
その翌年、横浜市でアルバイトさせてもらったんですが、そこでやっぱり挫折しまして。俺はどうせダメなんだ、俺はどうせ社会不適合者だと。うちの子供は社会不適合者って言葉大好きで。
共同生活中にも、やっぱりまた何度か失踪していなくなりまして。皆さんにすごいご迷惑をおかけした上に、寮は出てその後自宅に戻ってきたんです。
その後、就労継続支援B型事業所のフェロップに自宅からの通いでお世話になって。その後今度フェロップに行ってる間に「俺は寮に戻りたい」とまた言い出して。
それで再び入寮させていただいたんですけども、入った途端にまた失踪していなくなりっていうことを繰り返して。今はですね、にも関わらず、皆さんのご理解の元、シドニーで海外生活を送っています。
今度あちらで語学学校に通わせていただくんですが、うちの息子は新しい事柄にものすごい緊張感を持つ子で、遠足とか運動会っていう日には必ず気持ちが悪くなって。なので、本当に心配は、その語学学校に入ってからまたやらかすんじゃないかと。というふうに気を揉んでいましたら、金森代表が力強く、
「やらかすよ。心配しないで、やらかすから。もう間違いなく。」
ということで、はい、ありがとうございました。