Gさんのお子さんは小学校から不登校があり、20歳で発達障害の診断を受けました。高校卒業後、専門学校に進学したものの、勉強もアルバイトも上手くいかず、ゲームセンター通いの日々。K2とは別の支援団体で若者自立支援プログラムを3カ月受け、自立を目指しましたが、プログラムが終わると元通りの生活に…。
その後、共同生活に入り十数年。現在も共同生活を続けながら、就職もしていますが、母は今でも内心はドキドキ。それでも親子がそれぞれ離れているからこそ、穏やかで無事に暮らせている日々を大切に過ごされています。
どんなしつけをしていますか、お母さん?
息子は今37歳。K2石巻におります。
K2に来る前の状況ですが、生まれた時からずっと全てにおいて、歩くのも喋るのも遅れていて。小学校5年生ぐらいから、学校へ行くのを嫌がるようになってしまいました。
担任の先生には「お宅のお子さんは忘れ物は多いし、整理整頓できない。どんなしつけをしていますか、お母さん?」と呼び出しを食らうことが多々あり、そのような感じでとうとう学校へ行かなくなってしまいました。
友達は一人二人いて、放課後に家に来てはゲーム三昧。
「どうするの、学校行かなくてもいいの」と息子を責め、
「今日も行けなかったか」と諦める。そんな毎日を過ごしていました。
俺なんかいない方がいいんだろう、死んでやる!
高校を卒業してから居場所を求めて専門学校に入ったものの、勉強するでもなく、駅前のゲームセンターへ入り浸る日々が続きました。
「バイトやってみれば」と促し、お小遣いは絶対渡さないようにしていました。
それでも息子はバイトを始めても1か月続かず、3日で辞めてしまったこともありました。
バイト先から「お宅の息子さん来ていませんけど」という電話も来てしまい、
「一体どうなるの?バイトもできない」
「約束したでしょう、ちゃんと続けなさいよ」
私たち親は息子をどんどん責めて追い詰めてしまいました。
「俺なんかいない方がいいんだろう、死んでやる!」
叫ぶ息子を見てオロオロするばかりでした。きっと息子も苦しかったことと思います。
息子も私たちも、何も解決策を見つけられないまま、家の中にどんよりと黒い渦がずっと立ち込めていました。
そんな状態が続き、20歳を迎えた頃に、話し合いをしました。
「さあ、これからどうしよう、働けますか?働けないよね。このままでは何もできないよね」
家族で話し合い、こういう状態は一体どこから来るのか、一回検査をしてみようとなり、検査を受けた結果、発達障害があることが判明しました。
結果を見て、「そうなの、そうだよね。やっぱりそうだったのか…」
一部納得したところもありましたが、親としては複雑な気持ちでいっぱいでした。
お母さんもういいから、もうほっといてください。
検査をしたからといって、状況は変わらず、どこにも行けずに息子は家にいました。
親が探して見つけた、千葉にある若者自立塾に3ヶ月間だけ行ってみたら、と息子に声をかけ、入ることにしました。
でも、そこは3ヶ月だけと期間が限られていました。3ヶ月が経つと卒塾になり、さよなら、というかたちでした。いる間はすごく有意義に過ごしていたのですが、終了すると
「あとは自分たちでどうぞ、先のことは親御さんたちで考えてください」という感じで放り出されてしまい、家に戻るとまた元の生活に戻ってしまいました。
昼まで寝て、夕方からうろうろ駅前のあたりをうろついて。あっという間に逆戻りでした。
その上、携帯を持たせてしまった私たちも悪いんですけれど、変なサイトにアクセスしてしまい、ネットで会った女の子に夢中になってみたり、お友達にお金を借りまくったり。 これがどんどんエスカレートしてしまうのでは、と毎日毎日心配な日々が続いていました。
転機になったのは、以前入塾していた千葉の自立塾の親の会に、私は継続して参加していて、そこは卒塾した子どもの親が集まり、お子さんたちはどうですか、どのように過ごしていますか、と情報交換をする会でした。
「横浜にあるところで、3ヶ月で終わりじゃなく、ずっと見守ってくれるところがあるみたいだよ」
あるお母さんから聞いて、これだと思いすぐに検索しました。そこにK2の文字があったんです。
「横浜まで相談に行ってみよう」私たちは息子に声掛けしましたが、息子はゲームセンターで遊んでばかりで、なかなか行こうとしませんでしたが、私たちももう必死で、
「1回だけでいいから、ちょっと話聞いてもらおう」
息子を連れだし、主人の車で高速をぶっ飛ばして連れて行き、その日から、息子は私たちと家には帰らず、そのまま入寮することになりました。
こうして根岸で面談して頂いたのが、今から15年ほど前の2月頃だったかと思います。
「お母さん、息子さんのことはもういいから」
私たちに任せて、ほっといてください、という感じで、荷物は後日運ぶことになりました。
そこから息子のK2での生活が始まりました。
お母さん、寮に帰ってきていません。
入寮した後が大変でした。共同生活に慣れてきた頃から門限過ぎても帰ってこない、携帯も繋がらなくなることが度々ありました。
「お母さん、息子さんが寮に帰ってきていません。そちらに帰っていませんか?どこにいるかわかりますか? 」とスタッフさんから連絡が入る。こんなことが何度あったかわかりません。
挙句の果てに「もうK2には戻りたくないよ、別の仕事したいよ」と息子が泣きごとを言い出す始末。
そんな息子を夜中にK2のスタッフの方が迎えに来てくださって、戻って行ったことが何度もありました。
私たちが色々言っても聞かないのに、スタッフさんが
「なにやってんの、帰るよ」の一言で息子がすんなり帰って行くんです。本当に見事でした。
同じ過ちを繰り返し、周りに迷惑をかけてしまう息子。
本当に申し訳ない思いでいっぱいでしたが、スタッフ、メンバーの皆さんが息子を支えてくださり、ありのままの息子を受け入れてくれて、励ましてくださったおかげで今があると思っています。
今、彼は石巻にいます。移住して8年ぐらいでしょうか。
石巻は、ちょっとやそっとでは帰れない距離感がいいと思っています。息子も今は地元の企業の工場で働かせて頂いていますが、周りとのコミュニケーションは殆どできていないのではないでしょうか。
石巻のスタッフさんからは毎年春になると調子が悪くなり、ダウンするとも聞いていますから、いつも綱渡り状態でヒヤヒヤしています。
石巻のスタッフさん、勤務先の会社の方、石巻のメンバーさん、みなさんに支えていただきながら、どうにかこうにか過ごさせて頂いていると思っています。
最後にですね、親としては息子が少しずつでもいいから成長してほしいと願う気持ちはありますが、以前金森さんが「お母さん“なおらん・かわらん・わからん”よ」という言葉がK2にはあるよ、と。だけどK2にいたら笑いと人としての尊厳、それは絶対守って頂けていると、すごく感じています。これでいいんだと思っている次第です。
「お母さん “変わらんよ、なおらんよ、わからんよ”」
今まで私はずっと息子のダメなところばかりを指摘してきました。
「なんでできないの?」と原因探しばかりしてきたように思います。そんな息子にスタッフさんたちは「頑張っているよ」と言ってくださるんです、それが本当に嬉しいです。
でもまたいつオイル切れになるか。アップアップして、いっぱいいっぱいになってしまうことがあると思います。私も出勤したくないことだってありますから、その気持ちはわからないでもないです。
親としては毎日毎日、これからもきっと不安な気持ちはずっと続いていくのかなと思っています。
家族の会で、親同士で本音で語り合ったり、美味しいお好み焼き食べたり、共感しあったり。
こういうことをずっと変わらずにやっていけたらなと思っています。家族の会にはK2の活動を支える部会があります。直接子どもと関わるかたちではなく、別のかたちでK2の活動を楽しく盛り立てながら、私たちは私たちで、息子のことはちょっと脇に置いておいて、楽しくやっていければいいかなと思っている次第です。ありがとうございました。