Tさんは弟さんがK2につながって16年。ご本人をつないだ親御さん亡き今、兄としてK2家族の会に入っています。Tさんの弟さんは現在K2のスタッフとして、若者をサポートする側に回り、日々活動しています。
今の状態は親なしで三兄弟が残って…
兄です。よろしくお願いします。
まず家族の話をしますと、弟がK2に来たのが16年前、2008年ですね。父は2005年に亡くなってまして、母は弟がこちらに来た後の2012年に亡くなって。そういう状況です。あと姉がおりまして、今の状態は親なしで三兄弟が残っているという状況です。
親が割合年取ってから子供を産んでいて、亡くなったのも両者とも80歳代で、特別早かったというわけではないのですが、そういう感じです。
今日の話は私は兄という立場ですので、親の立場のような深い体験とか深い話は、残念ながらないのですが、親じゃない兄という立場で、どんな関わりだったかとか、気持ちだったとかというひとつのケースとして、なるべく正直に話そうかなというふうに思ってます。
私と弟は10歳違い。弟が学校に行けなくなったのは中学校1年生で、夏休み後に学校行けなくなったことが始まりでした。
ちょうど、その頃はですね、私は就職して昭和のいわゆるブラック企業で働いて、月100時間ぐらいの残業を平気でしていた時期で。
当時は弟のことも時が来ればどうにかなるんじゃないの、とか、これは親の仕事だろう、みたいな感じで思っていたと記憶しています。
両親のことですが、母は弟のことは最初から最後まで一生懸命だったんですけれども、 最初の頃は父がわりと要所要所前に出てきて学校と相談して、学校行かないと勉強についていけなくなるだろうと、留年した方がいいとか、学校と話をつけてみたりと動いていました。
その後、結局行けない状態が続き、一生懸命転校先を探したりとかしてたんですけれども、だんだん打つ手がなくなってきて。だんだん、言葉はちょっとよくないですけど、フェードアウトしていったような感じだったと覚えてます。
私は 親から言われれば、何かを手伝うぐらいでした。 記憶に残っているのは、電車で横浜の学校に通っていたのですが、途中で気持ち悪くなってしまう。それで学校にいつも行けなくなってしまうので、車で学校に送ってみる実験をしてみようと、自分が 送ったこともありました。
結婚を考える時期になり、相手にこのような弟がいることを伝えもして…
皆さんと同じように色々なことをしてるうちに、弟が20歳になるというところまで、話は飛びます。
私も結婚を考えるような時期になって、相手にこのような弟がいることを伝えもしていました。当時は珍しかったのではと思います。そんなことで、相手の親戚から結婚の話は止めた方が良いんじゃないかと、茶々を入れられたりした経験もありました。 最終的には理解を得て結婚でき、根岸で結婚生活を始められることになりました。
それまでは実家で弟と一緒だったんですけど、弟はより遠く離れた存在になっていきました。

転機になったのは、父が事故で体が不自由になり、母が看病をするようになり。そんな時期が10年ぐらいありまして。
当時の弟は半年ぐらいのバイトはちょろっと行けるんですけど、行ってちょっとトラブルがあったり、だんだんエネルギーが切れて行けなくなっちゃうとか、そういうことを何年か繰り返していました。
そこに母が父の看病で弟まで手が回らなくなったので、例えば「弟がバイトに行けなくなったからバイト先 に説明しに行ってくれ」と、親に言われて動いたところから、少しずつ弟との接点が、戻ってきました。
母親から私に任せる流れの中で、「最近は支援団体が色々あるようなんだけど、自分で情報取れないし、動けないので、探しておくれ」と頼まれることに。
最初に母から頼まれてから動くまで、けっこうな時間が流れてはいたのですが、たまたまひとつめの候補になったのがK2でした。
当時は厚労省のデータに若者自立塾事業を行っている団体の一覧があり、それを見て探しました。
横浜にK2インターナショナルがあると。団体の名前を見て、怪しい名前の団体だなと思い、逡巡しちゃったんですけども、たまたま住んだことがある根岸だからここがいいかな、と思って来てみて、これが大正解。そういうことでした。
K2につながった時には、弟は36歳になっていました。このような経緯です。
ある意味、母親から「弟をよろしく」と指名され、いつの間にか…
親でない私が今でも家族会に来ているのは、今、お話してきた話の流れの中にあるように、ある意味、母親から「弟をよろしく」と指名され、いつの間にかその役割が身についていたということなのかなと思ったりもしますが、自分でもよくは分かってないところもあります。
母親は亡くなる前、「私は思い残すことはない」と言い切り、それで亡くなったんです。
弟はK2と息子に任せた。そう勝手に思ってたんじゃないかな。ちょっと勝手だな、誰も承諾したわけじゃないんですけど(笑)
まあ、本人にはもう思い残すことがなくてよかったなと思ってます。
弟の話があまりなく、私の話ばっかりになっちゃったんですが、こんなところです。ありがとうございました。