今回はK2歴が長くて、あちこちで当事者として話をしてきたうちのスタッフの話です。3月に可愛い女のお子さんをご出産されて、育児休暇中に来てくださってます。(代表)
K2歴は19年、中学生で不登校に。
私の半生を10分ぐらいでお話ししたいと思います。K2歴はよくよく考えたら19年に今年なっていて。
16歳の時に繋がったので、人生の半分以上をK2で過ごしてるってことにさっき気づいて、「うわあ」ってなったんです。
そもそも中学生で不登校になったのがきっかけで。ありがちですよね。
「明確な理由はなんですか?」
当時も、こうやってお話するときも色々聞かれるんですけど、あんまりなくて。
今考えたら、中学受験をして、引っ越しをして、大幅に環境がガラッと変わってしまったのはあって。12歳、13歳の時の私は、それにうまく適応できなかったのかなと。今思えばですけど。
家族だけではもうどうしようもない
最初のうちは頑張って学校に行こうとするんですけど、どんどん学校に行けなくなって。父も母もそんな私を心配して、いろんなこと、それこそ彼らが出来得る限りのことは多分全部やってくれたんじゃないかなと思うんですけど、それに応えられない自分と、その状況っていうのがすごく辛くて。
自殺未遂も自傷もたくさんしたし、精神科入院もして、もう家の中がぐちゃぐちゃだったんですね。

ほんとはそんなことしたくなかった。
したくなかったし、両親には笑って過ごしてほしいって思いがやっぱりあったので、それができない自分の状況がすごく辛くて。
両親と私と妹の、それぞれのいろんな思いが交錯してしまって全然うまく噛み合わなくなって。家族だけではもうどうしようもない状況に中学3年生の頃にはなっていました。
「なんでYちゃん食べないの?」
この状況をなんとかするために、父が色々調べて、金森さんと出会ったことがきっかけになり、私は16歳の時にK2につながりました。
ですがK2に来た途端、すぐに元気になったわけじゃなくって。本当に紆余曲折ありまくりで。今思い出すと本当に顔から火が出るぐらい恥ずかしいこととか、申し訳ないこととかがめちゃめちゃいっぱいあって。
そんな中であっても、少しずつ自分のやりたいことを見つけたり、年下の寮生が入ってきて先輩になっていき、後輩ができると共同生活をしていく中で頼られ、「ありがとう」って言われることが増えたりもして。自分も先輩にしてきてもらったことを今度は自分が後輩にしていくことで、徐々に元気になっていったんです。
一番大きかったのは、学童クラブの放課後ドラマぽにょ+ができ、そのスタッフになったことが、私の人生の大きな転機となりました。
子どもって絶対的に弱くて無垢で、大人という年上の存在が楽しませたり、保護し守るべき存在で。
学童でぽにょっ子たちに囲まれて過ごしていると、子どもたちは忖度のない言葉をいい意味でも悪い意味でも投げかけてくるんです。「その腕の傷どうしたの?」とか「なんでご飯食べないの?」とか。
当時の私は拒食症だったので、ご飯が食べられなかったんですけど、一緒にご飯を食べる時に、子どもたちには「人参だろうが、ピーマンだろうが食べなさい」って言っていたんです。
だから子どもたちから「でも、なんでYちゃん食べないの?」って言われた時に「確かに」ってなって。
そういうことの繰り返しで、私はぽにょっ子たちに元気にしてもらったと思っています。

長期的な視野と愛を持って私を家から追い出してくれた
あとK2につながるまでには本当に色々あって。
父のことを知ってる方はわかると思うんですけど、父は本当に私のことが大好きで。めちゃめちゃ好きなんですよ。妹もいるので、父的には私と妹、平等に愛情を注いできたつもりらしいんですけど、明らかに私への愛のウエイトが重くて。それに私のコップが耐えきれなかったみたいなすれ違いもあったんだと思います。
父は、多分本当は自分の手元に私を置いて、自分の目と手が届く範囲で私に元気になってほしかったと思うんです。けれどもそんなことはもう無理な状況だったので、父は多分心をほんとに鬼にして、長期的な視野と愛を持って私を家から追い出してくれた。だから今があるのかなと思っています。

私は娘を3月に産んで親になったばかりで、まだ親の気持ちっていうのは全部分かってはいないんですけど、娘が生まれて思うのは、やっぱり娘には苦しい思いはしてほしくないし、死ぬまで毎日楽しく笑って、いろんな人にこんな感じで愛されて楽しく過ごしてほしい。
だから彼女のこれからの人生で辛いことはできるだけ、なんて言うんですか、道から取り除いてあげたいし、つまずかないように石ころも取り除いて平坦な道にしてあげたいとは思うんですけど、それは自分のエゴなんじゃないかなって思う時もあって。
金森さんの言うように、親になってみて自分ができることは、私の方が多分早く死ぬので、私と主人が死んだ後彼女がしっかり生きていけるような土台を作ってあげることしかできないんじゃないかなと今は思っています。
いろんな人と出会って、いろんな経験をして、いろんな考えに触れて、傷ついたり泣いたり、いろんな思いをする。その機会を私は提供してあげることしか、きっとできないんじゃないかなと今は思っているし、父が孫に対して接してる姿を見てると、私もきっとこうやってぐじゅぐじゅに愛されて愛されて愛されて育てられてきたんだなっていうのを、ちょっと離れて見ることが今できているかなと思います。
色々あってもなんとかなるなと思える
私も今はなんとなく元気ではありますけど、実際この先どうなるかわからないですし、自分はメンタル不調があったので、産後うつをとても心配していたのですが、今は大丈夫。でも、もしかしたらこの先色々あるかもしれないし、なにかあったらK2に頼みますっていう気持ちでいるんですけど。こういうことが言える信頼関係があるから、この先娘が不登校になったり、なにか色々あってもなんとかなるなと思えるんです。
そういう意味では最高のお母さんですよ。
娘がなにをしたところでなにひとつ文句を言えないもん。
多分、娘がなんぼ頑張ってもお母ちゃん以上のことはできないし、しないと思う。
リスカもODも、ひととおりのこと全部やってますからね。知り得る限りのことは全部やってる、本当に。
だからもう君の娘には「お母さんになんか言われたら、俺に言いに来い。お前のおかんはな、こんなことしてあんなこともしてたんやぞ。君ほど何をやってもいい娘はいない。あんたの親が全部それ以上のことやってるから」そう言ってやれる。
でも今は、過去に色々やっちまったんだけれども、もう全然してないよね。ものすごくきれいさっぱり収まっている。
だってもうひとつひとつ取り上げたらキリがないぐらいのことを、本当に色々やってきちゃって。
だから、大丈夫ですよ、あなたの娘は。(代表)
今はほどよい距離感があるから大丈夫.
なので、まあ可愛い我が娘ですけど、やっぱり他人。どこまでいっても彼女は他人っていうのはちょっと自分の肝に銘じて。
親の心配をよそに彼女はきっと強く育っていくと思うので、その土台だけしっかりつくっていくのが親の役目なのかな、覚悟なのかなって思ってます。

父もよく家族会に参加していて、娘のあれやこれやを色々聞いてたと思うし、その時の父の気持ちを考えると、いたたまれない気持ちに最近ようやくなってきて。今までもいろいろ紆余曲折があったし、これからも紆余曲折はあると思うんです。
父と母とは、私が実家を出て19年経った今は、ほどよい距離感で両親と会えるんですけど、それはきっとその距離感が今は保たれてるから、大丈夫なだけなんだなと、産後に里帰りをしたことでわかりました。その時、やっぱり結構辛かったんですね。
久しぶりの実家で母はなんでもやってくれるし、父も相変わらずで。
いいっちゃいいんですけど、もう他人になってしまったし、家を出てから一緒に住んでいない時間があまりにも長くなってしまったので。やっぱり親は親、子は子、所詮他人なんだなっていうことを今回いい意味で改めて実感しました。
ようこんだけ先輩がいるとこでそんなこと言えるなぁ。
我々からすると、君だってまだまだ子ども同然ぐらいのもんやのに…。家族会の大先輩たちの前で…もういい加減にしなさい(笑)
じゃあ、終わりにします。はい(笑)











