ただし、最初に申し上げておきます。皆さんのためになる話かは私には非常に疑問です。息子の発達障害に関する話題も、ありません。
ただ、もう一つ付け加えます。私たちの時代には、ワークライフバランスという言葉はありませんでした。
朝は早く出て夜遅く帰る生活でした。息子と接するのは日曜か、夏休み、冬休みぐらいの状況でした。
したがって、これからお話しすることは、ほとんど妻から聞いた話になります。
ゲームセンターに行けば、いる
せっかくの機会ですので、息子がどんな子どもだったのか、K2にお世話になってからどんなふうに過ごしたのか、今、親としてどんなことを考えているのか、ちょっとお話しさせていただきたいと思います。
息子は男2人兄弟の次男で、長男とは6歳離れています。結構離れているんですよね。
3歳ぐらいまでは小さいし、ほとんど家にいるので、そんなに変わったことは感じなかったんですが、一度だけ喘息で2、3日入院した時に、病院で駆けずり回ってしょうがないと怒られたんですよね。今思うと、その頃から多少多動の傾向があったのかなと思います。
4歳で幼稚園に行くと、初めて他の子どもさんと直接接するようになるので、やっぱり色々問題が出てきまして。みんなと一緒に座って先生の話を聞いていられなくて、教室を走り回ってしまったり、もう閉園の時間なのにジャングルジムで遊んで帰りたがらなかったり。幼稚園でも手のかかる子になってきました。
この頃はちょうどゲームが流行りだした時代で、お友達の家にゲームがあると分かると、幼稚園が終わった後、その子の家に遊びに行くと言って聞かなくてですね。母親も申し訳ないと思いながら何回か行ったんですが、あまりに申し訳ないので、小さな携帯ゲーム機を初めて与えなきゃならなかった。それが、うちとゲームの最初の出会いだと思います。

かみさんがスーパーに買い物に行くと、ちょっと目を離すともういなくなってしまう子でした。どこに行っているかというと、スーパーの3階あたりにあるゲームセンター。どこで覚えたのか、どうやってそのルートが分かったのか知らないんですが、勝手に行ってしまうんですよね。最初はかみさんがあちこち探し回ったら、ゲームセンターにいた。そういうことがしょっちゅうあるもので、そのうちかみさんも驚かなくなって、ゆっくり買い物して、終わったらゲームセンターに行けばいる、という感じでした。
「とっつきが悪いのよね。でも、やればできるのよね」
小学校に上がると、問題が少し顕著になってきて、やっぱりいじめられたり、仲間外れにされたりということが起こり始めました。
家の周りに同級生の子がいっぱいいたので、一応外で遊ぶんですけど、すぐいじめられて仲間外れにされて、むっとした顔をして帰ってくる。そういう時は、またなんかあったなと分かるんですね。3、4年生になると、あまりお友達がいなくなって、休み時間もみんながグラウンドで遊んでいるのに、自分は図書館で本を借りて、どこかにひっくり返って読んでいる。そんな子でした。

学校の先生との面談では「とにかくとっつきが悪いのよね」と言われました。みんなで長縄跳びをするようなことは、なかなかやらない。「でも、最終的にはやる。やればできるのよね」とも言われました。なかなかやらないけれど、やればできる、そういう子でした。
小学校の修学旅行の時も、やっぱり仲間外れになっていて、みんなと座る席がなかなかないわけですね。それで、ずっと校長先生のそばにいたらしいんです。彼なりに、誰が守ってくれるのかを本能的に感じて、そういう時は自分の逃げ場を自分で見つけていたんだと思います。
怖い監督の下なら、いじめられない
中学に上がる時、息子は地元の中学に行きたがりませんでした。自分のことを知っている子がみんな行くので、結局同じことが続く。新しい環境で自分を変えたいという気持ちが多少あったんだと思います。
たまたまその頃引っ越しを考えていたので、横須賀の方に引っ越しまして、新しい地元の中学校に通いました。誰も知らないところで、新しい自分を作りたいと思ったんでしょうね。
近所の、一緒にバスで通う子たち3人とサッカー部に入ったんですけど、すぐ同じことが起きてですね。サッカー部の中でも浮いてしまって、いじめられるようなところがありました。
同じグラウンドで練習している野球部に、ものすごく怖そうな監督がいて、みんなをビシビシ指導して、部員から目を離さない人だったんです。彼なりに、この監督の下にいれば、少なくとも部活ではいじめられたり仲間外れになったりすることはない、と感じたんでしょうね。それで野球部に入りたいと言って移り、3年間務めました。
不思議と言えば不思議なんですけど、そうやっていじめられたり、仲間外れにされたりしてきた子なのに、不登校になったり部活を休んだりということはしないんですね。自分のやることはこれだと思ったら、やる。不登校で悩んだことはないんです。

クラリネットのソロを、きちっと吹いていた
高校は地元の私立に行きまして、今度は誘われたからと言うんですけど、何を考えたのか、ブラスバンド部に入ったんですね。楽器ができたわけでもないのに。ご存じの通りブラスバンド部は女子が大半で、その中に入ってやっていけるのかと思ったら、やっぱり当然のように浮いてしまって。
だけど、別に休むわけでもない。日曜日とお正月の3日ぐらいしか休みがない、結構きつい部活でしたけれど、そのまま頑張って続けていました。
2回ぐらい演奏を見に行ったことがあるんですけど、クラリネットをやっていて、ソロの場面もありまして。こちらはドキドキしていたんですが、結構きちっとソロも吹いて、高校生がやる激しい踊りのようなパフォーマンスもちゃんとできていて、やればできるんじゃないかと思って見ていました。
でも、決して馴染んではいなくて。3年生になるとパートごとのリーダーをやらされるんですが、それがとっても嫌だと言っていました。下級生からも多少馬鹿にされていたので、無理やりリーダーをやらされるのはとても辛かったようです。
高校2年ぐらいの頃、発達障害という言葉が世の中に出回り始めて、本屋さんにも本が並ぶようになりました。かみさんが一生懸命調べて、間違いないと思って、検査に連れて行こうかどうしようか迷っていたら、意外とすんなりついてきたんですね。
結果は、知能的には普通。ただ、特性にでこぼこがあって、特に記憶力は非常にいい。だけど、いわゆるコミュニケーション能力が格段に低い、と。ボーダーラインですと言われまして、ではどうすればいいのかと思っているうちに卒業になりました。この子は発達障害なんだということを、私たちもその時はっきりと自覚しました。

「俺は間違いなく落ちたな」
高校を卒業する時、どうするのかと思ったら、大学には行きたくないけれど、コンピューターゲームをいっぱいやっていたので、コンピューターの学校に行きたいと言って、横浜のコンピューターの専門学校に入りました。
そこでどうしていたのか、僕はよく知らないんですけど、ゼミに入るとやっぱり浮いてしまって、ゼミの中で仲間外れになって、半分いじめのように無理やり研究発表をやらされたり。最後のゼミの打ち上げにも、自分だけ声がかからなかったとショックを受けていました。ずっと辛い思いをしてきた子なんですね。
いよいよ社会人にならなくちゃいけない時期になって、コンピューターの会社を受けました。2人1組の面接で、もう1人は非常に受け答えが上手な子だったそうで、帰ってきて「俺は間違いなく落ちたな」と言っていたんですけど、なぜか受かってしまってですね。学校も本人も驚いていました。
その会社に入って、ちゃんとした給料やボーナスももらえるようになって、色々あったけれど、このままいけるのかな、なんて甘い考えを持ったのが間違いでした。3年目におかしくなってしまったんですよね。
「パチンコの当たる台を教えます」
コンピューターの保守や点検をする仕事で、ある銀行の担当になり、銀行に出向して保守をしていました。24時間稼働なので3交代制で、夜勤もある仕事です。そこに、半分パチプロのような同僚がいたらしいんですね。パチンコをやったことがなかった息子は「連れて行ってやる」と誘われて、パチンコにはまりました。
実家暮らしで給料をもらっていたので、かみさんが毎月何万円か食費として受け取って貯金していたんですけど、それでもまだ余裕があったので、相当パチンコにつぎ込んで、50、60万円もする大きなパソコンを秋葉原でポンと買ってきたりもしました。そして家では、パソコンでパチンコゲームをやり出したんですね。
仕事はちゃんと行っていたんですけど、ある日、洗面所にATMの利用明細のようなものがぺろっと落ちていて、よく見たら銀行ではなくサラ金の明細なんですね。若い男がサラ金から2、30万円借りて遊ぶといったら、だいたい相場は決まっているだろうと問い詰めたら、なかなか吐かなかったんです。最後に出てきたのが、パチンコでした。
パチンコゲームをやっていると、いろんな勧誘の広告が出てくるんですね。その中に「当たる台を教えます」というものがあって、見てみると若い女性が出てきて、すごく優しく色々話してくれる。何月何日、どこのパチンコ屋のこの台が出ると教える代わりに、お金を払い込めと。正直、若い女性と仲良く話したことなんかない子ですから、もうすっかりはまってしまって、10万、20万、30万、40万と払い続けていたんです。
これはまずいと思って、とにかくサラ金からは一切借りるなと言いました。その時、私はちょっと間違えたなと思うんですけど、事が重大だから、かみさんには言うなと。その代わり、今ある分は立て替えておいてやるから、と。
息子は分かったような顔をしていたんですが、実はとんでもなくて、相手に電話して「親にバレた」と言ったら、向こうは「分かった、じゃあ他のサラ金のルートを教えてやる」と。それでまた別のサラ金から借り始めて、複数から借りていたんです。私は知りませんでした。なめられたもんですよね、私としては。
複数のサラ金から借りまくると、ブラックリストのようになるらしくて、最後には勤めていた銀行に本人確認のチェックが入ってしまったんですね。これを機に、社内規定違反だということで、要はクビです。一応自主退職という形にしてやるから、ということでした。

車のラジオから流れてきたK2の話
それで浪人生活が始まりまして、やることがないので昼夜逆転、夜はゲーム、昼は寝ているという生活がずっと続きました。ハローワークには一応行くんですけど、私も1回ついて行ったことがあるんですが、接客業か介護職ぐらいしかなくて、とても本人に合うような働き口はないんですよね。
専門家の方に相談に行ったこともありますが、特にいいアドバイスはなくて。ただ、一度ブラックリストに載ると、そういう闇の世界の名簿に載っているから気をつけろよ、と。そういう人間は誘いに弱いと分かっているので、あの手この手でアプローチが来るらしいんです。携帯電話も解約させたりしました。
それが1年ぐらい続いて、このままじゃまずいなと。本人も、このままじゃまずいと思ってはいるんですけど、性格は変えられない。
そんな時、たまたま車で走っていたら、ラジオの横浜FMでK2の話が流れてきたんです。あっと思って、すぐ車を止めて電話番号だけ控えて、すぐ電話しました。電話に出てくださったスタッフに、実はこんな状況でと話したら、すごくよく分かってくださって、こんなに理解してくれる人がいるのかと思いました。

すぐ連れてこいと言われて、「そういうところに行くぞ」と。彼も困っていたので、ついてきました。金森代表と面接をして、「まだ遅くないから、すぐ寮に入ってこい」と言われ、本人も他に方法がなかったので、そのまま入寮しました。寮に住んで訓練を受けて、それからフェロップでお世話になるようになりました。
一度だけ、外部就労の機会を与えていただきました。運送会社の伝票をパソコンで入力する仕事で、コンピューターを使う仕事ならいいだろうということだったと思います。トラックが入ってくるのはだいたい夕方なので、帰ってきてからが忙しい。昼スタートで、夜8時、9時に終わる仕事でしたが、彼は全然苦にしていませんでした。だけど、1年目ぐらいで居眠りが多いという話になって、また退職になりました。
その後はK2の事務所でパソコンを使って、チラシを作ったりする仕事をさせてもらっていました。

彼がお世話になってたのは24歳で、それからもう16年。今40歳か41歳です。今はグループホームのヒューハウスに住んで、パン屋さんやおにぎり屋さんの商品に貼るラベルなどを作る仕事をしていると聞いています。
16年経っても「変わらん」
親として、16年お世話になって感じるのは、正直、何も変わっていないことです。 しかし、発達障害の有無に関わらず、現状は変わっていないと感じます。
今、親として思っているのは、ゲーム以外に何か楽しいことを1つ見つけてもらいたいということです。休みの日もやることがなければ、部屋でひっくり返ってゲームをしているだけ。やりがいなんて大それたことは言いませんが、自分が楽しいと思えることをひとつ見つけて生きていってくれればと思っています。
真面目なところもあるんですね。高校の時、担任の先生に「授業中はほとんど寝ています」と言われたんですけど、「だけど、いいところもあるよ」と言われて、かみさんが少しほっとしたという話があります。
高校生ぐらいになると、先生が見ていなければ誰も真面目に掃除なんかしないらしいんですが、うちの息子は誰が見ていなくても、真面目にきっちり手を抜かずにやる。それは高校生にしては珍しい、と。文化祭で屋台を出した時も、みんなある程度終わると適当に遊ぶんだけど、息子はひとりで黙々と野菜を切っていた。それはわりといいことだよ、と。かみさんにとっては、初めて息子のいいところを言われたことだったのかもしれません。
だから今、息子に言っているのは、とにかく今置かれた状況の中で、与えられた仕事を真面目に一生懸命やっていろと。そうすれば誰かが見ていてくれて、認めてくれて、道が開けるかもしれないぞ。世の中捨てたもんじゃないぞ、と。どれだけ響いているかは分かりませんが。
世の中にたった1人ぐらい味方がいなきゃ
小さい時からずっと仲間外れにされてきた子なので、実は私もものすごく反省しているところがあります。
外では仲間外れになったりいじめられたりして、家に帰ってくると、かみさんはどちらかというと怒り役です。朝から晩までかみさんに怒られているわけです。それを見ていて、これで俺まで怒ったらこいつには逃げ場がないな、と思って、彼の逃げ場になっていたようなところがあるんですね。
それが良かったのかどうか。かみさんには「あなたはいつも大事なところで息子を擁護するわよね」と言われてしまいます。ただ、世の中にたった1人ぐらい味方がいなきゃ可哀そうだな、とちょっと思ってしまって。その辺の甘さが、サラ金の借金にも通じたのかもしれません。親として反省は色々、多々あります。
ただ本当に、こんな息子に仕事を与えてくださって、見守ってくださって、K2の存在には感謝するばかりです。これからも、まあまあ続けていってほしいなというのが本音でございます。
取り留めもなく話しましたけど、どうもありがとうございました。
【代表のコメント】
よく言われるんですけど、子どもが良くなったのか、良くなっていないのか、という問題があるじゃないですか。僕も最初の頃は、良くしたかったんですよ。良くしようと思った。でも、分かったんです。良くなんかしなくていいんですよ。
良くしたり、元気にしたりすると、その反動がどれだけ来るか。良くなる子は、ほっといても良くなります。それを人為的にいろんな作戦でなんとかしようとするより、あるがままのその子を受け入れるかどうかが大事だと思うんです。みんないろんな人生を持ってきている。だから、ある時ポンと変わることもある。でも、そのためにその子の持っているものをねじ曲げてなんとかしよう、となってくると、話は別です。
本当によく考えて思うんですけど、良くすることより、その子をずっと受け入れている方がよっぽど難しいです。こんなに長くかかったら、魔法みたいにこの子を変えたい、という気持ちになりますよね。悪いけど、そういうことができる人はいくらでもいるんです。あなたたちの子どもを一瞬にして変える人は。でも、そうやって3年元気になりました、4年、5年元気になりました。それで6年目に、その子が包丁を投げつける子になるかもしれない。そういうことは、はっきり言っていくらでもあるんです。
そもそも、良くするって何なんだということです。いいか悪いかなんて、心の持ちようの問題でしょう。明日も食べられないような子たちがいる。重い障害があって、呼吸器をつけて生きている子もいる。その中で、自分のところの何が悪いのか、何が問題なのか。もちろん親だから欲目はあります。ちょっとでもあんなふうになってほしい。そう思えばいいと思います。
でも、良くしてくれる人がこの世の中にいっぱいいたとしても、その人たちがあなたの子どもとずっと寄り添って生きてくれるかと言ったら、そんなことはないでしょう。5年後、その子が以前よりもっとひどい問題を抱えた時に、誰が関わりますか。
元気になった子に、何が起こったか
30何年やってきて、何人もの子が元気になるのを見てきました。一緒にニュージーランドでミュージカルをして、一緒にヨットで航海して、大学も出て、元気になって。「金森さん、ありがとう、さようなら。僕は元気になりました」と出て行って、3年働いた。ところが4年半、5年経った頃に親からの連絡が途絶えて、人づてに聞いたら、親を殴って、そのあとずっと家から一歩も出ていない。そういう子が何人もいます。なんで言ってこないのか。言えないんですよ。元気になったのに、また同じようになっているなんて。
子どもも同じなんです。自分が良くなったから親は喜んでいる、と思うと、今度は良くなった自分が基準になって、いつまでもドキドキするんです。働けるようになった、何かできるようになった、だから喜んでくれている、だから頑張らなきゃダメなんだ。でも、できない時が来る。その時には、もう親を頼ることもできない。誰も頼れない。そうして、誰ともつながりのない子ができてしまう。
今の日本の社会に、そういう子がものすごい数いますよ。誰ともつながらないで、家がゴミ屋敷になって、朝バスに乗って派遣の仕事に行って、誰とも関わらないで帰ってくる。そういう子がいっぱいいるんです。
働けるようになってほしい、自分で稼げるようになってほしい、ちゃんと社会で生きていけるようになってほしい、信頼される子になってほしい。
そう思うのは正しいと思うんですよ。でも、足りていないのは「そうでなくても、私はこの子をちゃんと愛するんだ」というメッセージなんです。
うちに来た最初のうちは、ただ笑ってくれただけで嬉しいと言っていた親御さんも、そのうち「うちの子、そろそろ働けませんか」と必ず言ってきます。働いたら「もうちょっと稼げませんか」と。それはいいんだけど、大事なのは、そうならなかったとしても受け入れる、という気持ちなんです。
因果関係で見るのをやめる
先ほどのお父さんが、嫁さんを怒り役にして、自分は全部受け入れてしまった、何でも許してしまった、だから今ダメなんじゃないか、とおっしゃいました。その考え方はやめないといけません。それは因果関係で考えているからです。そうしたって、そうならない子もいる。いくら注意したって、そうならない子もいる。人って、そんな簡単にはできていないんですよ。いじめられたから、この子はこうなった。そんな簡単ですか。
人間は、何がどうなるか分かりません。同じことをしていても、人の見方が変わるだけで評価がひっくり返ることもある。だから、「だから」で見るな、と。「にもかかわらず」が大事なんです。本来できないにもかかわらず、この子はみんなと一緒にこうやっている。誕生日にみんなの前で何かをやっている。そういうことを受け止めていく方が、もっと大事なんです。
親だから、もっと良くなってほしいと思う。それは僕も同じです。親の気持ちは言えばいいんです。「もっとみんなと仲良くしてくれたら嬉しいね」「もっと稼げたら嬉しいね」と。でも、稼げたから自分は認められた、みんなの前で発表できるようになったから自分はいいんだ、と思っている子が多いんです。逆に、誰かを傷つけたから自分はこうなった、と思っている子もいる。本当にそうか、と考えるべきです。
あの時ああしたから、こうしなかったから、とみんないっぱい因果関係を考えるけれど、この何年もやってきて分かるのは、そうであっても、そうでない子はいくらでもいる、ということです。一度そこから離れて、今の自分の子どもを丸ごと見てほしい。できないことがあっても、もっとこうしてほしいと思うことがあっても、にもかかわらず、この子がここでハッピーに生きている。それを受け入れることが大事なんじゃないかと思います。
10年いて何も変わらないのか、と言われることもあります。でも、もし10年関わっていなかったら、もっととんでもないことになっていたかもしれないじゃないですか。
被害者ではなく、加害者にされる時代
最近いちばん感じている変化を言いますね。あなたたちの子どもが被害者になる時代ではなくなったんです。加害者にされてしまう時代が来たんです。
前までは、子どもが騙されて、ひどい目に遭って、そういう子を守るために、僕はやくざだろうが、おかしな宗教の人間だろうが、全部話をしに行っていました。「あなたはどこの国の方ですか」と言われたぐらい、必死で子どもを救出しに行ったこともあります。
でも、もう変わったんです。今は、ほっとくとみんな加害者になります。何もできないと思っていた子が、闇バイトのようなシステムの中に入って、「自分は悪くない、ただポチポチやっただけです」と。でも、そのポチポチで何人もの人がひどい目に遭っていたことを、あとから知るんです。この何年かで起こっている、いちばんの変化はそれです。
変えてはいけない
だから、極論すると、僕は子どもを変えてはいけないと思っています。無理やり変えたり、洗脳したり、その子にないものを一生懸命押しつけていい子にしたり。それがどれだけ危険か。
じゃあ、だらしない子がだらしないまま生きているのをほっといて、あなたは何をしているんですか、と言われたら、何をしているのか自分でもよく分からない。ただ、その子と一緒においしいものを食べたり、一緒に歌を歌ったり、一緒に面白い経験をしたりして、ちょっとでも楽しい時間を一緒に過ごせるメンバーになりたいだけなんです。変えているわけじゃない。変えちゃいけないんです。
あなたたちも、子どもを変えてくれる人を望んではいけません。今の時代、そういうことを約束する人はみんな危ないと思ってください。僕は変えません。良くもしません。あなたたちが変わりなさい。あなたたちの子は、そのままで、面白いことをやっていけばいいと思っています。それだけです。
(了)











