このスピーチのオファーをいただいたのが3月28日で、ちょうど私、横浜スタジアムで開幕戦を見ている最中でした。
けっこう勝っていて、いい感じで進んでいたんですけど、ふっと見たらK2からメールが来てて、そこからもう、ちょっと気もそぞろになって観戦どころではなかったんですけど。無事初戦を勝つことができて、今ここに立っています。(笑)

というのは冗談ですけど、さっき自己紹介した通り、私、まだK2歴は2年7か月ぐらいなんです。私よりも大先輩の方々がたくさんいらっしゃる中で、発表させていただくのは大変僭越だなと思いながらも、ご指名頂いたので今日ちょっと発表させていただきたいと思います。

探し回ったのに、全く怖がったり泣いたりしていない…

長女は私ども夫婦にとっては最初の子どもだったんですけれど、その前に実は最初にできた子どもが流産してしまいまして、悲嘆に暮れている中に、やっと娘ができたことで2人ですごく喜びました。
小さい頃から非常に社会性、社交性が強い子でして、2歳の時に近所の商店街に僕が買い物に行く時に連れて行ったんですけれども、会計してる最中に行方不明になっちゃいまして。慌てて探し回ったけれど結局見つからなくて、もう諦めて警察に届け出ようと思い、諦めて家に向かってる途中にですね、遠くに赤いコートを着た女の子が、ちょっと年上の子どもたちと遊んでる姿を見て。あれ?ひょっとして、と思って近づいていったら、「パパ」って言いながらニコニコ寄ってきて。

全く怖がったり泣いたりしていなくて、本当この子はなんかすごい子だなと思いました。

いじめはあったものの、仲間がいた

私は転勤族だったので、当時は会社の社宅に入っていたんですけど、小学校にちょうど上がるタイミングで今のマンションを買い、引っ越しました。幼稚園のあいだに引越しして、幼稚園も変わることになったんですけれども、その時もすぐに周りと打ち解けていました。
マンションに入居した他の世帯も、家族構成がけっこう一緒でして、同級生になる子たちがいっぱい入ったので、幼稚園の頃からも非常に仲良くさせてもらってまして。幼稚園も無事に終わって、小学校にもスムーズに進みました。

小学校でも無難に学年が上がっていったと思いきや、その当時は知らなかったのですが、小学校5年生の時に、同級生の女の子からいじめに遭っていたことを後から聞かされました。娘はずっと黙っていたんですね、親に心配かけちゃいけないと黙っていて、僕も家内も知らなかったんですけど、いじめていた相手は幼稚園の頃からずっと仲良くしていた、マンションのすぐ真上の部屋に住んでた女の子で。元々すごく仲良くしていたんですけど、その子からいじめられていたということでした。
幸い、学校の中で孤立してたということはなく、けっこう男の子の友達が多かったので、そっちからチヤホヤしてもらって、なんとか乗り切ったということだったようです。

そんなこんなで小学校は無事卒業しまして、中学校に入ったのですが、見た目の格好良さに惹かれるミーハーなところがある子でして、剣道部に入りました。
剣道部は3年間、一応ちゃんと続けました。毎週土曜日にはちょっと離れた中学校で朝練があったんですけど、娘は今もちょっと朝弱いと思うんですけど、いつも送迎を僕がさせられていました。
3年間続けた甲斐があって、一応剣道初段は取ることができました。
小学校と中学校の地区が一緒なので、小学校でいじめられた子はあいかわらず意地悪をしていたようです。
ただ、その時も剣道部のメンバーが男女ともに結構仲良くてですね、そのメンバーに守られて中学校も乗り切れたということで、何とか無事に卒業できました。
高校は公立を志望してたんですけれども、受験に失敗してしまいまして、併願していた私立の高校に進学しました。

部活に打ち込む高校生活から一転…

僕も学校の説明会に10校ぐらい付き合わされて、色々行ったんですけれども、決め手になったのは、やっぱり見た目のかっこよさで、アルトサックスを吹いてたマーチングバンドのある高校に進学することになりました。

ご存じの通り、剣道やサックスって初期投資がけっこう馬鹿にならなくて、親にとってはお金のかかるものばっかり選んじゃって、と正直思ったんですけど。サックスも確か16万ぐらいしたんですけど、毎月のお小遣いとかお年玉でいくらずつ返すんだよ、と計画させて一応全部娘が返しきったかたちになってます。

高校では勉強というよりも部活に明け暮れていたんですね。それで、アルトサックスってけっこう大きくて重たいんでですね。娘は見ての通り、線が細くて体力もないのに無理にアルトサックス吹いてマーチングしていたんで、肩を痛めてしまって。ドクターストップもかかっていた状態でしたけど、本人はどうしてもやるってことで、無理して続けていたんですけど、それがさらに肩を悪化させることになりました。


それで、高校2年の終わりぐらいの正月休み明けに、マイコプラズマ肺炎に罹って1週間ほど入院した後に、今まで学校に無理に通っていたのが、無理が利かなくなったという感じで、そこから急に学校に行けなくなりました。
高校生活もあと1年2ヶ月ぐらいだったんですけれども、ここで学校に行けなくなって中退はもったいないと家内が、学校のカウンセリングを受けてなんとか復学させようとして動いてたんですけれども、そのままもう学校にも行けなくなって、家で寝たきりの状態になりました。

周囲が進路を決める中、追い詰められて…

精神科も2か所通ったのですが、ほんとにカウンセリングするだけで、全く良くなる余地もなくて。埒が明かないということで、通っていたメンタルクリニックで紹介状を書いてもらって、今もお世話になっている神奈川県立精神医療センターに通うことになりました。
高校は私立で義務教育ではないので、このまま通学できなければ、高校中退になってしまう。せめて高校卒業の資格だけでも持たせないと、と家内に全部任せきりだったのですが、彼女が探し回って今の高校で取った単位を全部加算できるかたちで行ける通信制の高校に編入してもらうことができて、なんとか高校卒業資格を得ることができました。

いっぽう、中学、高校の時の友達が、大学や専門学校と進路に進む中で、娘の焦りはピークになっていました。
今はSNSで周りの情報が入ってきてしまうので、本人が気にしていなくても、どんどん周りの友達がどうなってるとか、情報が入ってきてしまう。
ほんとに僕ら親にとってもこの時期は、スマホなんかこの世からなくなってほしいなって思っていました。病気から来る幻聴もひどくなって、薬の影響で日中も頭がぼーっとして。


夜になると焦りから大学受験や専門学校と、当時の体力的に絶対無理なことをわーわー言い始めるという状態で。さらにいじめを受けていた子が、まだ天井の上に住んでると思うだけで嫌だ、早く引っ越して欲しいとか、もう泣いて喚いて妻と毎晩毎晩やりあってという状況でした。妹が2人いるんですけど、彼女たちも、僕自身もほんとに家にいるのが辛くて。家庭崩壊になるんじゃないかという危機状態でした。
通っていた県立精神医療センターの先生に相談して、2か月間強制的に入院させたこともあります。本人は入院にかなり抵抗していたんですけれども、実際入ってみると同世代の病気の子たちと交流することができて、多少は自分を客観的に見ることができたのかなと僕から見て思いました。

「あなたたちはいつまで子どもの面倒を見るのか」

病気のせいなのかこだわりも強くなって、この時期は毎日100ます計算と英会話アプリをなんだか毎日やっていて。入院中もこれだけは絶対やるということで、ずっと体調が悪いのに続けてやっていたみたいです。このことが今の海外渡航の伏線になってたのかなという気がしています。
病院を退院してからは、症状自体は入院前より落ち着いていたんですが、家の中にこもった状態は続いてました。
少しは外に出た方がいいということは、周りも本人自身も思っていまして。県立精神医療センターの先生からなんぷらを紹介してもらい、そこから最初は「週5回行く」と言っていたんですけれど、無理なんで、行けるだけ行きなさいっていうことで、なんぷらに通うようになりました。行ってみたら同世代の子たちが通ってきていて、トランプをしたり、ちょっと年下の子に勉強を教えたりして。


週に何日か通っていたんですが、ある日娘からK2の説明会があるということで、一緒に来てほしいと言われました。
僕と娘の2人で、このM6に来ました。それが僕がK2に出会った最初でした。
この日は初めての人が多く来ていて、金森さんがいつものようにいつもの口調で、あなたたちはいつまで子どもの面倒を見るのかと。今は良くても親も年も取るし、親が死んだ後、子どもは誰が面倒を見るのか、ということを冒頭に強い口調で言われた時に、もう僕は頭を殴られたような衝撃を覚えました。

ほんと全くその通りだなと思って、子どもをなんとか守んなきゃいけない、守んなきゃいけないと思っていたんですけれどそうじゃないな、とすごく思わせられました。
家に帰ってから妻とかなり相談して、絶対K2でお世話になった方がいいということで、その次の週に家内も初めてこのⅯ6に連れてきまして。家内が初めて面談したいただいた相手がKママでした。家内も面談して、初めて私のことを理解してくれる人に出会えたということで、本当に涙を浮かべて感激していまして、本当にここに来て良かったなっていうことを言っていました。

入寮後も毎週バスで帰宅してしまう日々…

お世話になるにあたって、家から寮に移ることになるんですが、娘は家から出るのは嫌だとかなり渋ってたんですが、なんとか説得してエクレシア寮にお世話になることになりました。

寮に入ってからは、なんぷらに行ったりマルシェのお手伝いをしたりしていたんですけど、いかんせん自宅が磯子区で、歩いてでも40分ぐらいで行けるところにあり、近いんでですね、毎週末、やっぱりバスに乗って帰ってきてしまうという状態が続きまして。これだともう完全に預けたことにならないなってことで、夫婦共々どうしようかと思っていました。


そこにちょうど、ニュージーランドの海外の生活寮が、コロナ明けでストップしていた渡航ができるようになったと紹介されたので、行ってみるかと娘に尋ねたところ、英語をぜひやりたい、行きたいと言って。最初は1ヶ月だよ、と行かせました。
最初の頃はもう早く帰りたいと。僕や家内に連絡しても埒があかないってことは娘もわかっていたので、家内の母にLINEで「おばあちゃんちょっとなんとかして」と泣きが入ったりしまして。家内のお母さんと家内との間でバトルになったりとけっこう大変でした。孫がこういう状況に置かれていることは、やっぱり親にはわからないんだなってことが、すごくよくわかりました。

最初の頃は、そうやって、グズグズグズグズ言っていたんですけど、もう家に帰っても居場所がないなと悟り、堪忍か観念をしたようでですね。今ではオークランドで抹茶カフェをやらせてもらえたり、シドニーに移ってからはたこ焼きの接客をやって、自分の居場所を見つけられたような気がします。
まだ道は長いと思うんですけど、ひとまず両親としてはホッとしたところです。

K2と早く出会えたことはラッキー

最後になりますけど、ここにいる多くの方からいろいろなお話を伺っていると、K2とつながるまでにかなり紆余曲折があって、時間がかかったり、あるいはすごい遠くから来られてる方も多くいらっしゃるっていうことだったんですけれど、私の場合はちょうど道に迷って途方に暮れていたら、たまたま目の前に突然K2が現れたっていう感じで。
しかも、めちゃめちゃ近いところで、出会うまでに時間がそんなにかからずに出会えたことが、本当に幸運だったなと思っています。


さっきも申し上げましたけど、こういう子どもたちに対しての苦労や辛かったことは、やっぱりこの家族会ぐらいでしか、共有、共感できる場所はないんだなということをつくづく思っています。
また今回、発言する機会をいただいて、私自身の子どもの接し方を振り返った時にですね、育児はほぼ家内に任せきりで、自分はなにもしてこなかったなと思い、すごく反省しました。


ちょっと取り留めない話でしたが、以上で私の発表を終わります。
ご清聴ありがとうございました。