Rさんは3人きょうだいの真ん中。学校の成績は良く、中高一貫校に進学後、大学受験で2浪。大学を中退後、うつ状態が長く続き、皮膚症状などの身体症状も出るように。K2につながり、海外に行って10年、帰国後に受診することで発達障害が明らかに。
発達障害に由来する生きづらさから来る、二次障害としての気分の落ち込みや不調を「場面転換」で、本人が生きやすい環境に移して整えるアプローチが、共同生活なら可能です。

みんなは練習が休みになると喜ぶけど、僕にはわからない。

息子はもう15年、数えてもわからないぐらいお世話になっています。長男で三人兄弟の真ん中で姉と弟がいます。小さい頃は「サッカーだけが好き」というような子で、特に育てにくいとか、何がどうだったとかっていうことは記憶にないのですが、今思うとサッカー以外には興味がなく。なにかをやりたいということを言わなかった子でした。

「みんなはサッカーとか野球の練習が休みになると喜ぶけど、なんで喜ぶのか僕にはわからない」と言っていたのが印象に残っています。

その後、中高一貫校に行ったのですが、大学受験の少し前ぐらいに、受験のストレスを感じていたのではないかと思います。
大学にもこだわって、「ここしか受けない」と一校のみの受験で二浪しました。
そうしているうちに下の弟が三歳違で追いついてきてしまい、ようやく志望校とは違う大学に入学しました。
これも今思えばなのですが、三歳下の弟は種目は違うのですが、公立中学から高校も大学もスポーツ推薦で、受験なしで進学しているんですね。
自分が思い描いてたような道は、弟のような道だったのかなということを思っています。

大学には入学はしたのですが、もう半年ほどで通えなくなりまして。
通えなくなった頃から、浪人した前後ぐらいから厄介な蕁麻疹とかニキビ、肌荒れが悪化しまい。親から見てこれは鬱陶しいだろうなっていうぐらいひどくなっていて。病院もいろいろ通ったのですが良くならず、見ていられないくらいの状況でした。
本人もイライラうつうつした様子なので、こちらも気分を変えようと旅行や買い物など、色々気分転換を図りました。三歳上の姉も一緒になって息子を連れ出したり色々してみたのですが、なかなかうまく気分転換できず、やっぱりうつうつしていました。

「ニュージーランドに行く」の一言ですぐに渡航、それから10年。

十数年前、当時は「うつは心の風邪」と言われ出した時期で、勧められていた心療内科にも何軒か通いました。公的な相談機関も出来てきていたので、そちらにも通ったりしていました。でも「僕は違う」とか「もう行かない」と続かず。どうしたものかと悩んでいた時に、K2のことをネットで見つけて。それで連絡を取って面談を予約しました。

面談の時期はちょうど夏。ニュージーランドは逆の季節で冬でした。ニュージーランドに行けば蕁麻疹ともうまく付き合えるかもしれないから行く。息子のその一言ですぐに渡航の手続きをして、手続き次第すぐニュージーランドに行って。
それから10年、ニュージーランドからオーストラリアに移り、一回も帰ってきませんでした。

10年の間にさまざまな出来事がありました。行って程なくしてから息子から「日本にもう帰る」「もう大丈夫、元気になった」とか「帰せ」など、どんどんメールや電話がバンバン入ってきました。「ここは違う、僕のいるところじゃない」こんなふうにどんどん攻撃、いえ猛攻撃が続きました。本当に私たち親は、どうしたものかと思い悩み。

K2のスタッフに連絡したところ、海外のスタッフと連絡を取り、状況を確認してくださいました。
スタッフは「本人の状況と本人が言っている言葉とは違いますよ」そう教えてくださいました。
10年間その言葉を頼りに、本人の言葉に振り回されそうになったら、まずスタッフに連絡して、相談してメールや電話の対応をしてきました。

その後、日本に戻って3年ほどになるのですが、今がもう低空飛行中で。
帰ってきてから検査を受けて発達障害の診断が出て、まだまだスタッフの方の手をお借りしている状態です。現在はシドニーに場面転換という目的で行っています。

「助けて」って言えるようになってほしい

最後に、今私が思っていることとして、本人に「こうなってほしいな」ということなのですが、「助けて」っていう言葉をスタッフに相談できるようになってほしいです。それから本人が自分の感情の波と付き合う方法を身につけてほしいなと思っています。
最後にもうひとつ。ご縁を、こちらと繋がった縁を大切に思えるような気持ちに落ち着いて、なってほしいなということを希望しています。